2021/07/12 13:01


この間色々片付けてたら出てきた物
長女が見つけて泣きながら読んでた。

長女が産まれて、
血を吐いてICUから退院してきて
毎日日記と記録を書こうと始めたノートNo.1が出てきました。

これを見つけて思い返す育児。

19歳で出産、
お母さんには子供を産むには早すぎる
あなたはまだ準備ができてないし
お母さん子供みててとかそうなると思うし、考えが甘いと叱られ、
すごく嫌だろうけどおろす事も考えてと言われた。
絶対私はお母さんを頼らないし、
甘えないし、子供をきちんと育てると
何度も何度もおねがいして
長女を産んだ。

長女を産んだ後も自分の成人式にも出ないで、一回も預ける事もなく、
実家にも帰らず、お母さんに子供を見ててもらう事なんか一回もせずに育児に専念してる毎日だった。
育児書片手に付箋を貼り、
わからないことを毎日病院に電話して聞いたり、調べたり、
毎日がすごく必死だった。

日記も数ページで終わってた。
それだけ毎日わからない育児に必死になってた日々。
幼稚園に入った時でもあの時代の私はすごく若くて、
周りのママ達からすごく浮いてた。

おはようございますと言ってもシカトされ、あの子19歳で産んだ子、
髪の毛金髪なんてありえないとか
色々言われた時代。今はありえないけど私の時代はよく言われた。

毎日毎日シカトされてもおはようございます😃と挨拶を続けたある日
おはようと声をかけなおしてもらったのを覚えてる。

日本のキャラクターものを持たせたくなくて、海外からパワーパフとかのお弁当箱とか生地を買って作ったのを持たせてた。
ある日マスクを作ってしていったら
それが問題になって、
娘ちゃんがしてるせいで、
うちの子が欲しいと言うので、
そういうのやめてくれない?と
ママ達に呼び出された 笑

悔しくて悔しくて、家に帰って同じ学年の子達全員分に同じものを作って配った事もあった。
全員のママがそうではないけど、
騒ぐママというのは強いものだったwwww

見た目が派手、きてるものが派手、
髪の毛が赤かったり、今でいうインナーカラーが紫、当時はママ達の中では物珍しい存在だったのだろう。

でも一年もすぎたある日
若いからってレッテルがなくなった

役員は率先してやるし、
イベントの役員だってやる。
着ぐるみ着てクリスマス会には出る。
幼稚園での付き合いが長くなるにつれて、
若いから子育てできるの?のレッテルは無くなっていった。

2人目ができたことで、
お母さんにそろそろ甘えてもいいんじゃない?とも言われ
2人目の出産で初めて長女を預けた。

今は大きくなって手のかかることのない育児。

20年前は必死だった育児を思い返し
なんだか不思議に思った。

辛いと思った事は一度もない。
子供が産まれた喜びの方が大きかった

子供を育てることで、
私は自分自身も成長できたんだと
子供が大きくなるにつれて
お母さんになっていくんだなぁ
ってこれ見て
改めて感じたよ。

これを見つけて少しだけ優しい気持ちになれました。

育児とは育自

子育てしてるママは色々悩んだり、ぶつかったり、もういやーーーーって
なる時期だってあると思う。
本当にあると思う。

たまにこういうものを見るのもいいもんだなぁ😊🙌🏾😊

今日は子供達に優しくニコニコでいよう🤣🤣🤣🤣🤣

鬼ババって言われないようにしよう🥰
その鬼ババから産まれてきたんだよ
❤️って優しく言おう

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